私たちは自分たちが受けた傷や損害がまったく「無意味」であるという事実を直視できない。
だから私たちは「システムの欠陥」でも「トラウマ」でも「水子の祟り」でも何でもいいから、自分の身に起きたことは、それなりの因果関係があって生起した「合理的な」出来事であると信じようと望む。
しかし、心を静めて考えれば、誰にでも分かることだが、私たちを傷つけ、損なう「邪悪なもの」のほとんどには、ひとかけらの教化的な要素も、懲戒的な要素もない。それらは、何の必然性もなく私たちを訪れ、まるで冗談のように、何の目的もなく、ただ私たちを傷つけ、損なうためだけに私たちを傷つけ、損なうのである。
内田樹「もういちど村上春樹にご用心」