自己崩壊と迫りくる魂の死(昨日の続き)
つまり、自己価値の感覚がおびやかされるために、「劣っている」という意味で、自分を悪いものと感じてしまうのである。こういう体験の激しさは、言うまでもなく、かれ自身の欲求の強さに比例しているが、まさにこの欲求の強さが、自分は悪いものだという感じに「欲ばりすぎ」という性質を付与することによって、自分の劣悪感をますます大きなものにしてしまうのである。また、この劣悪感は、かれが同時に経験している完全な無力感とあいまって、さらにいっそう複雑なものになってしまう。ところがこれよりさらに一段と深いレベルでは(あるいはこれよりさらにいっそう早い段階では)子供の経験は、言わば実りのない爆発の経験と、リビドーの完全な枯渇の経験に、なっているのである。このようにしてそれは、自己崩壊と迫りくる魂の死の、経験となるのである。
フェアバーン「対象関係から見た内的精神構造」